※超長文注意。


↓読みました。


希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く


すごく面白くて普通に感心してしまった。
あーこれはあるわ、みたいな。


「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」


とは村上ドラゴン先生のお言葉ですが、個人的にもそんな気がする今日この頃です。
東洋経済とかダイヤモンドとかそういう雑誌を読むと、
いつも「格差」とか「不況」とか「高齢化」とか「新興国」とか「○○崩壊!」
みたいなのばっかだからね!!

で、この本の内容をかなりおおざっぱに要約すると、
経済格差を生み出す経済構造→経済格差
→ライフスタイルの格差

ここでさらに社会のリスク化(色々頑張っても報われない可能性があること)
が加わって、

→下方に位置する人は希望を喪失
→社会の活性が失われる


ということらしい。
社会のリスク化は確かに希望というよりは不安を煽るよなぁ。
ロースクール行っても弁護士になれるとは限らないし、
企業に就職しても残業とかリストラとかありえるかもだし、
大学院行ってもワーキングプアになるかもだし、もうどうしろってんだよみたいな。
自由主義的には別にリスクあってもいいじゃないか、自己責任で!ってなるんだろうけど、
実際なんでも自己責任はすごくやりすぎ感があるんだぜ。
しかもミクロ経済学的には世の中の多くの人はリスク回避的って言われていたような・・・。
某自由の国みたいにルートから漏れても挽回できる風潮(まさに希望ですね。)があれば、
別にリスク取ろうと思えるんですけどね。
日本の場合はそれがないからなぁ・・・。
格差があってかつ希望がないのは最悪ですね。




さて、経済学的に希望を考えるとどんな感じになるだろうか。
例えば、あなたがある大学の偉い人だとする。
あなたはもっと偉い人に、「学生にもっと勉強させて。これ予算ね。」
と言われ100万円を手渡された。
早速、あなたは以下のような案を考えついた。


1優秀な学生1人に100万円の奨学金をやる。
2優秀な学生10人に10万円の奨学金をやる。
3優秀な学生20人5万円の奨学金をやる。
4優秀な学生50人に2万円の奨学金をやる。


学生は全体で100人いるとする。
どの案が一番学生の勉強意欲を引き出すことができるだろうか。


俺の直感からすると最も効率的なのは3だと思う。
1で勉強するのはせいぜい上位5人。他のやつは多分上位5人にかなうわけがないと思って何もしない。
しかも勉強する5人はもともと勉強意欲があるやつばっかなのでぶっちゃけ意味なし。
2もほぼ同様。まぁそれでも1よりは結構マシだと思う。
4はありっちゃあり。でも個人的に人数が多すぎる気がするので却下w
というわけで3。
3なら上位20〜50位ぐらいまでは今までより勉強するはず。


加えて、ここからが重要なのだが、この上位5分の1の人々は、
多分周りにポジティブな影響を与える。いわゆる「外部性」である。
想像して欲しい。



A「いやー、俺さっきAクラス(仮)の奨学金もらっちゃったよー。」


B「えーマジで!すげーなー!」


A「ま、5万ぐらいだからたいしたことないんだけどな。」


C「じゃあ今日は先輩のおごりですね〜。」


A「あー、いいよ。よし、今日は○○家でパーティでもやるかー」


C「きゃー先輩素敵ー♪」


DCFGHJK(くそー、なんて羨ましいんだ!! 今度は俺も・・・。)




こんな感じで奨学金をもらった20人は周りの対抗心を掻き立てるわけである。
そして回りも上位20なら「俺でもいけるかも!!」って思ったりするのだ。
この「俺でもいけるかも!」感が希望である。
実際いけるかどうかはさておき、希望を持てることが勉強意欲に繋がるのである。
ただし、ここで注意するのは「チャンスは毎回リセットされる」ということ。
奨学金なら累積ではなく毎年度の成績で判断すべき。


これを企業に応用してみる。
例えば、能力のある派遣労働者は正社員にするという制度があって、
実際にその制度を使用した者がいるという実績があれば、
それは他の派遣労働者に希望を与えることになり、みんなより頑張るわけだ。
その制度を経験した人を身近に感じられる何か(体験記のような)があればいればより望ましいだろう。



・・・というよーなことをさっき中央線が止まってる間に考えたわけです。
あーうー。